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『押すな』
と書かれた赤いボタンが、道の真ん中に落ちていた。
地面に直接、ボタンがついているのではなく、赤いボタンがついたリモコンが地面に落ちていたのだ。
ぶたのコロネは、思わずかがみこんでそのボタンを見た。
『押すな』
コロネは何度もその文字を読んだ。
「押すなと言われたら、押したくなっちゃうなあ」
赤いボタンはピンポンだまくらいの大きさで、つるりとした半球の形をしていて、いかにも押し心地が良さそうに見えた。
「きっと、押したら、ふわりとして、かちりとして、かたいようで、やわらかいようで…」
コロネはうっとりとボタンを見つめながらひとりごとをこぼした。
「ああ、押してみたい。押してしまおうかな。きっと、悪いことは起きないだろうし」
と書かれた赤いボタンが、道の真ん中に落ちていた。
地面に直接、ボタンがついているのではなく、赤いボタンがついたリモコンが地面に落ちていたのだ。
ぶたのコロネは、思わずかがみこんでそのボタンを見た。
『押すな』
コロネは何度もその文字を読んだ。
「押すなと言われたら、押したくなっちゃうなあ」
赤いボタンはピンポンだまくらいの大きさで、つるりとした半球の形をしていて、いかにも押し心地が良さそうに見えた。
「きっと、押したら、ふわりとして、かちりとして、かたいようで、やわらかいようで…」
コロネはうっとりとボタンを見つめながらひとりごとをこぼした。
「ああ、押してみたい。押してしまおうかな。きっと、悪いことは起きないだろうし」
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うさぎハットはカウボーイ・ハットに茶色のベスト、赤いスカーフを胸の上で三角に巻き、ウエスタン・ブーツをカツカツ言わせながら歩く。まるで西部劇の保安官のようなかっこうをした背の低いウサギの男だ。
うさぎハットというのは彼の名前ではない。私がのちに勝手にそう呼んでいるあだ名のようなものだ。彼の本名を聞いたには聞いたのだが、長すぎて忘れてしまった。ファーストネームだがミドルネームだかに「ハット」という部分があったことだけは妙にはっきり覚えていたので、うさぎハットと呼ばせてもらうことにしたのだ。
どちらにせよ彼は自分がなんと呼ばれようと、どうでもよさそうな素振りだった。
うさぎハットというのは彼の名前ではない。私がのちに勝手にそう呼んでいるあだ名のようなものだ。彼の本名を聞いたには聞いたのだが、長すぎて忘れてしまった。ファーストネームだがミドルネームだかに「ハット」という部分があったことだけは妙にはっきり覚えていたので、うさぎハットと呼ばせてもらうことにしたのだ。
どちらにせよ彼は自分がなんと呼ばれようと、どうでもよさそうな素振りだった。
ここが世界の果てかと思う瞬間というのに遭遇したことはあるだろうか。私はまさにビルバオの駅にそれを感じた。
ビルバオはスペイン北部にある、スペイン中で2番めに人口の多い大きな港町である。都会の喧騒もここまでくるとさすがに落ち着いていて、街の雰囲気は穏やかなものだ。港町というのはだいたいどこも経済的に裕福なものだが、このビルバオもスペインで指折りの裕福層が住む街であるらしく、建っている建物はどれも立派で豪華に見える。
街の歩道に沿って歩けば海に突き当たり、そこでは透き通った青い海水が静かに波を起こしながら、港に並んだ漁船を揺らしている。
やわらかい潮風を頬に感じながらそこに沈む夕日を見るのは格別な光景だ。
余談だがこういうときアメリカを除いた海外の田舎街の良いところは、大型ショッピングモールが建っていないことだと思う。日本ならこのくらいの街では確実に駅前とかロータリーに「ジャスコ」「イオン」「ヨーカドー」あるいはそれに準ずるなにかが建っていてまったく美しくない。
ヨーロッパを旅行していてつくづく感嘆してしまうのだが、どんな観光地でもそこが都心部でなければ大型ショッピングモールの姿はほとんどない。それが意識的に行っている作戦だとしたら、大いに評価すると同時にわが国もそれに習うべきだと思う。
ビルバオに来たのはパリへ行く寝台車に乗るためだった。
夕刻、ビルバオの市内観光を終え、そこからさらにバスで2時間ほど。果てしなく広がる丘の真ん中にぽつりと駅は建っていた。
正確に言えばその駅は寝台車を停めるほどの大きい駅だ。「ぽつり」というよりは「ずどん」と建っていたのだが、いかんせん着いた時刻が夜の9時ごろである。丘という丘は空と同化して暗闇に染まっていたし、道路を照らす点々とした街灯を除けば灯りというものはまったくない。
そんな中に、控えめに光を灯した駅があったらどう見ても「ぽつり」としか見えない。
その陸の孤島の内部には誰もいなかった。駅員はどこかしらにいるのだろうが(ここで電車に乗るのだからそうでなくては困る)広いフロアはがらんどうで、はた目にはまったくの無人駅だった。
電気は煌々とついているものの、駅として機能している部分はエスカレーターと自動販売機くらいだった。乗客も、ひとりもいない。
それだけでも十分に異空間を覚えてしまうが、もっと驚いたのはエスカレーターを上がって出た屋外のホームだった。
外は深い暗闇に囲まれていた。
虫の声も鳥の声も、なんの音もしない。さやかに吹き抜ける風は冷たく、夏の終わりでも上着が必要なくらい肌寒い。
街の灯りはここまでは届かないようで、あたりは真空のような黒で塗りつぶされていた。
申し訳程度に天井にくっつけられた僅かな蛍光灯で、一直線に伸びる狭い道路のようなホームが一望できる。それはいつも使うような駅のホームの数倍は長く、これは目の錯覚かもしれないが、端から端まで2キロはあるんじゃないかという気がした。
かろうじて灯りに照らされているそのホームから一歩でも外に出たらそこはまったくの闇だった。足下の線路さえも見えない。空中に浮いているとも、海に浮かんでいるとも言われて納得してしまうくらい、先になにがあるかわからないほどの暗闇。空を見上げると、満月に近い明るい月が妙にくっきりと浮かんでいる。
例えば世界の果てがここだとしてもなにもおかしくなかった。
自分が置いてきたもの、残してきたもの、生きてきた道、そういったなにもかもが、そこにはなかった。
世界に果てなど存在しないとしても、個人単位、これまで生きてきた人生のなかで、そこは確かに世界の果てのように感じた。
そして電車が来た瞬間に、その世界の果てを思わせる何かは消え去り、それが公共施設で寝台車の止まるビルバオの駅だということを思い出すのだ。
こういうことは理屈で説明できるようなものだとは思えない。ざっと端的に言うならば、「遠くまで来た」という感覚に近いような気がする。
自分の生きている場所が、自分の世界を作り出している。自分の世界は自分の生きている場所を中心に放射状に広がっていて、自分はそこの上を歩いて生きている。
そしてその放射状に広がっているいちばん最先端が、自分にとっての世界の果てになるのだ。地図上の問題ではない。一度も行ったことのない場所、それだけでなく、一度も感じたことのない感覚が作用して、自分にとっての「世界の果て」が作り出される。
そこには孤独や物悲しさ、違和感、疎外感、不安といったマイナス的な要素と、まだ見ぬ世界への興味と未知への期待、冒険心が入り交じっている。
旅行をしていて面白いのは、しばしばこういう感覚を味わえるからでもある。
少なくとも自分の世界の中心だけで生活していて、世界の果てを感じることはそうそうあるものではない。
経験が感覚を研ぎ、感覚がものの価値をつくるのなら、多くの経験は多くのものの価値を高めることになる。経験とはなにか?たくさんのものに触れ、自分の世界を広げていくことだ。
遠くへ行く、見たことのないものを見に行く、という行為に無駄なことは決してない。この不思議な感覚は、それを証明してくれているような気がする。
もしあなたが旅行に出たいと思っていて、特別な理由もなくそれを躊躇しているようなら、ぜひとも参考にしてほしいと思う。
そして自分だけの世界を見つめ直し、その果てに立ってみてほしい。
そこには孤独がある。いろいろなものが混ざり合った、もっとも心あたたまる孤独が。
ビルバオはスペイン北部にある、スペイン中で2番めに人口の多い大きな港町である。都会の喧騒もここまでくるとさすがに落ち着いていて、街の雰囲気は穏やかなものだ。港町というのはだいたいどこも経済的に裕福なものだが、このビルバオもスペインで指折りの裕福層が住む街であるらしく、建っている建物はどれも立派で豪華に見える。
街の歩道に沿って歩けば海に突き当たり、そこでは透き通った青い海水が静かに波を起こしながら、港に並んだ漁船を揺らしている。
やわらかい潮風を頬に感じながらそこに沈む夕日を見るのは格別な光景だ。
余談だがこういうときアメリカを除いた海外の田舎街の良いところは、大型ショッピングモールが建っていないことだと思う。日本ならこのくらいの街では確実に駅前とかロータリーに「ジャスコ」「イオン」「ヨーカドー」あるいはそれに準ずるなにかが建っていてまったく美しくない。
ヨーロッパを旅行していてつくづく感嘆してしまうのだが、どんな観光地でもそこが都心部でなければ大型ショッピングモールの姿はほとんどない。それが意識的に行っている作戦だとしたら、大いに評価すると同時にわが国もそれに習うべきだと思う。
ビルバオに来たのはパリへ行く寝台車に乗るためだった。
夕刻、ビルバオの市内観光を終え、そこからさらにバスで2時間ほど。果てしなく広がる丘の真ん中にぽつりと駅は建っていた。
正確に言えばその駅は寝台車を停めるほどの大きい駅だ。「ぽつり」というよりは「ずどん」と建っていたのだが、いかんせん着いた時刻が夜の9時ごろである。丘という丘は空と同化して暗闇に染まっていたし、道路を照らす点々とした街灯を除けば灯りというものはまったくない。
そんな中に、控えめに光を灯した駅があったらどう見ても「ぽつり」としか見えない。
その陸の孤島の内部には誰もいなかった。駅員はどこかしらにいるのだろうが(ここで電車に乗るのだからそうでなくては困る)広いフロアはがらんどうで、はた目にはまったくの無人駅だった。
電気は煌々とついているものの、駅として機能している部分はエスカレーターと自動販売機くらいだった。乗客も、ひとりもいない。
それだけでも十分に異空間を覚えてしまうが、もっと驚いたのはエスカレーターを上がって出た屋外のホームだった。
外は深い暗闇に囲まれていた。
虫の声も鳥の声も、なんの音もしない。さやかに吹き抜ける風は冷たく、夏の終わりでも上着が必要なくらい肌寒い。
街の灯りはここまでは届かないようで、あたりは真空のような黒で塗りつぶされていた。
申し訳程度に天井にくっつけられた僅かな蛍光灯で、一直線に伸びる狭い道路のようなホームが一望できる。それはいつも使うような駅のホームの数倍は長く、これは目の錯覚かもしれないが、端から端まで2キロはあるんじゃないかという気がした。
かろうじて灯りに照らされているそのホームから一歩でも外に出たらそこはまったくの闇だった。足下の線路さえも見えない。空中に浮いているとも、海に浮かんでいるとも言われて納得してしまうくらい、先になにがあるかわからないほどの暗闇。空を見上げると、満月に近い明るい月が妙にくっきりと浮かんでいる。
例えば世界の果てがここだとしてもなにもおかしくなかった。
自分が置いてきたもの、残してきたもの、生きてきた道、そういったなにもかもが、そこにはなかった。
世界に果てなど存在しないとしても、個人単位、これまで生きてきた人生のなかで、そこは確かに世界の果てのように感じた。
そして電車が来た瞬間に、その世界の果てを思わせる何かは消え去り、それが公共施設で寝台車の止まるビルバオの駅だということを思い出すのだ。
こういうことは理屈で説明できるようなものだとは思えない。ざっと端的に言うならば、「遠くまで来た」という感覚に近いような気がする。
自分の生きている場所が、自分の世界を作り出している。自分の世界は自分の生きている場所を中心に放射状に広がっていて、自分はそこの上を歩いて生きている。
そしてその放射状に広がっているいちばん最先端が、自分にとっての世界の果てになるのだ。地図上の問題ではない。一度も行ったことのない場所、それだけでなく、一度も感じたことのない感覚が作用して、自分にとっての「世界の果て」が作り出される。
そこには孤独や物悲しさ、違和感、疎外感、不安といったマイナス的な要素と、まだ見ぬ世界への興味と未知への期待、冒険心が入り交じっている。
旅行をしていて面白いのは、しばしばこういう感覚を味わえるからでもある。
少なくとも自分の世界の中心だけで生活していて、世界の果てを感じることはそうそうあるものではない。
経験が感覚を研ぎ、感覚がものの価値をつくるのなら、多くの経験は多くのものの価値を高めることになる。経験とはなにか?たくさんのものに触れ、自分の世界を広げていくことだ。
遠くへ行く、見たことのないものを見に行く、という行為に無駄なことは決してない。この不思議な感覚は、それを証明してくれているような気がする。
もしあなたが旅行に出たいと思っていて、特別な理由もなくそれを躊躇しているようなら、ぜひとも参考にしてほしいと思う。
そして自分だけの世界を見つめ直し、その果てに立ってみてほしい。
そこには孤独がある。いろいろなものが混ざり合った、もっとも心あたたまる孤独が。
何かを始めるってことは、何かが終わるってことだ。ゴールはスタート地点が無い限りは存在し得ない。
随分と手こずらせたが、お前も年貢の収め時がきたってわけさ。
俺はお前のことをよく知っている。お前も俺のことを同じくらいよく知っているだろう。
なあ、友よ。
いや…、影と呼ぶほうがしっくりくるかな。
どっちだっていいや。お前はお前でしかない。
お前の姿は俺には決して見えなくて、それは俺をいらいらさせる。
更に悪いことに、お前は常に、俺のすぐ背後にいる。
姿が見えないくせに片時も俺から離れようとしないんだ。わかるか?それがどれだけ気を狂わせるかということを?
なあ。
お前はものを考えるのか?自分の腹の中に潜む炭酸ガスのような気泡を、解読可能なものに変換して空気中に散布することができるのか?
お前に意志というものは持ち合わせているのか?
わからない。
俺は実際のところ、お前についての詳しいことはほとんどわからない。
こんなにも長い間、俺たちは隣同士肩を並べていたというのに。
それも当然といえば当然のことだ。
俺はずっと、お前のことを憎んできた。
全てのうまくいかないことを、お前のせいにしてきた。
当て馬…そうだな。当て馬にしてきたんだ。そういう、ものごとの後ろ暗い面について、誰が深く考えようとする?ゴミ捨て場に捨てたゴミがどうして次の日なくなっているかなんて、誰だって親身になって考えたりしないだろう?
つまり、そういう憎み方をしていた。ずたずたに切り裂いて、ロードローラーで踏み倒して、喉に針金を詰めて海へ投げてしまいたいと。そしてその残骸に目を向けることはない。自分の散らかしたものに向き合う努力さえしない。
それほどの悪意はーーこれを悪意と呼んでいいのかはわからないがーー初めて手にするものだった。
結果から言おう。
お前に宛てたこの言葉は誰の耳に入ることもなく空を切って消え続けている。
なぜって、お前はもうどこにもいないからだ。
俺は3人の探偵と4人の医者を雇ってお前の姿を捉えることに成功した。
それなりの金はかかったが、そんなことはどうだっていい。金は手段のひとつにすぎない。
笑えるくらいたくさんの方法を試したよ。それだけ手こずることだったのさ。これについてはお前も誇っていいと思う。3人の探偵が椅子にひっくり返って頭を捻らせ、4人の医者が持ち前の知識を放り出して机に向かう様はなかなかの見物だった。
でもお前の負けだ。お前はゲームに負けるように、俺の前に姿を現した。
落胆する必要はない。
俺はそれだけの執念で動いていた。
執念が活力を生み出すという前提で、先に疲れた方が負けというルールのもとに世界が動いているなら、俺はいつか必ず勝つということになっていたはずだ。そんなのはゲームとも呼べない。
そして俺はお前を殺した。
言いたいことはたくさんあったが、なにしろ俺も疲れていたんだ。
お前の姿を初めて見たときは、本当に不思議な気持ちだったよ。
見てはいけないものを見ているんだとはっきりと思った。
ずっと見つめていると、今にも座り込んで、目を閉じてしまいたくなる。それは現実を避けるためじゃない。お前の姿を見ていたくないためだ。
それがお前の存在意義なんだから。そう、俺はそこで初めてお前というものを本当の意味で実感したんだ。
最初で最後だったな。
お前は死んで、俺の背後には誰もいなくなった。
俺は金を払い、探偵と医者には彼らの仕事に戻ってもらった。
平穏が訪れた。
あっけないもんだな。
その先で新たに俺を待っていたのはたったひとつ。
眠れない夜だけさ。
随分と手こずらせたが、お前も年貢の収め時がきたってわけさ。
俺はお前のことをよく知っている。お前も俺のことを同じくらいよく知っているだろう。
なあ、友よ。
いや…、影と呼ぶほうがしっくりくるかな。
どっちだっていいや。お前はお前でしかない。
お前の姿は俺には決して見えなくて、それは俺をいらいらさせる。
更に悪いことに、お前は常に、俺のすぐ背後にいる。
姿が見えないくせに片時も俺から離れようとしないんだ。わかるか?それがどれだけ気を狂わせるかということを?
なあ。
お前はものを考えるのか?自分の腹の中に潜む炭酸ガスのような気泡を、解読可能なものに変換して空気中に散布することができるのか?
お前に意志というものは持ち合わせているのか?
わからない。
俺は実際のところ、お前についての詳しいことはほとんどわからない。
こんなにも長い間、俺たちは隣同士肩を並べていたというのに。
それも当然といえば当然のことだ。
俺はずっと、お前のことを憎んできた。
全てのうまくいかないことを、お前のせいにしてきた。
当て馬…そうだな。当て馬にしてきたんだ。そういう、ものごとの後ろ暗い面について、誰が深く考えようとする?ゴミ捨て場に捨てたゴミがどうして次の日なくなっているかなんて、誰だって親身になって考えたりしないだろう?
つまり、そういう憎み方をしていた。ずたずたに切り裂いて、ロードローラーで踏み倒して、喉に針金を詰めて海へ投げてしまいたいと。そしてその残骸に目を向けることはない。自分の散らかしたものに向き合う努力さえしない。
それほどの悪意はーーこれを悪意と呼んでいいのかはわからないがーー初めて手にするものだった。
結果から言おう。
お前に宛てたこの言葉は誰の耳に入ることもなく空を切って消え続けている。
なぜって、お前はもうどこにもいないからだ。
俺は3人の探偵と4人の医者を雇ってお前の姿を捉えることに成功した。
それなりの金はかかったが、そんなことはどうだっていい。金は手段のひとつにすぎない。
笑えるくらいたくさんの方法を試したよ。それだけ手こずることだったのさ。これについてはお前も誇っていいと思う。3人の探偵が椅子にひっくり返って頭を捻らせ、4人の医者が持ち前の知識を放り出して机に向かう様はなかなかの見物だった。
でもお前の負けだ。お前はゲームに負けるように、俺の前に姿を現した。
落胆する必要はない。
俺はそれだけの執念で動いていた。
執念が活力を生み出すという前提で、先に疲れた方が負けというルールのもとに世界が動いているなら、俺はいつか必ず勝つということになっていたはずだ。そんなのはゲームとも呼べない。
そして俺はお前を殺した。
言いたいことはたくさんあったが、なにしろ俺も疲れていたんだ。
お前の姿を初めて見たときは、本当に不思議な気持ちだったよ。
見てはいけないものを見ているんだとはっきりと思った。
ずっと見つめていると、今にも座り込んで、目を閉じてしまいたくなる。それは現実を避けるためじゃない。お前の姿を見ていたくないためだ。
それがお前の存在意義なんだから。そう、俺はそこで初めてお前というものを本当の意味で実感したんだ。
最初で最後だったな。
お前は死んで、俺の背後には誰もいなくなった。
俺は金を払い、探偵と医者には彼らの仕事に戻ってもらった。
平穏が訪れた。
あっけないもんだな。
その先で新たに俺を待っていたのはたったひとつ。
眠れない夜だけさ。
切り取られた大人の男性の右手を見た話をしただろうか。
私が小学生になって間もない頃だったと思う。
手首から先、切断されたかのような右手はまるで軍手のように無造作に落ちていた。
すべての血が抜かれたようにそれは青白く、肌がビニールのように透き通っていてところどころ血管が浮き出ている。
その手首は近所の雑木林の隅っこにある用具倉庫の脇で発見された。
最初はそれが本物なのか作り物なのか誰の判断もつかなかったために、漠然とした事実だけが矢羽根となって近所じゅうを駆け巡った。
「男の人の手首が落ちている」
そんな気味の悪い噂を聞きつけて、まさにこわいもの見たさで私は見に行ったのだった。
友達や兄弟、家族なんかに、噂になってる手首を実際に見たよ、と、自慢したかった気持ちもある。
更にもうひとつ理由があった。
雑木林の所有者であるお金持ちの家には、私の学校のクラスメートの女の子がいた。つまりは地主の娘だ。
私はその子が大きい家に住んで、広い庭と雑木林を所有して、一帯を占めているという事実がなんとなく悔しかった。
だから見に行った。きもちわるいものが発見されたのが、あのおじょうさまのおうちの庭だなんて。いいきみ。と、あるいはそう思ったのかもしれない。
どれをとっても、幼い子供の考えそうな単純なことである。
ゆるい坂を降りて倉庫に着くと、そこはすでに大人たちの人だかりができていた。
問題の手首があるところを中心にとり囲んでいるために、子供の目線にはなにも見えない。
私はこちらに背を向けて突っ立ってる大人たちの足をくぐって、一番前の列から顔を出した。
手首は落ちていた。
青白い、大きな右手の手首だった。
本物の切断された手首を見たことがなくても、実際に目の当たりにするとそれは作り物のようにはとても見えなかった。
細い細い紫色の血管が、親指と人さし指の間の水かきからひとすじ、手の甲に向けて稲光りのように枝分かれしながら走っていた。
当然ながら、私は見たことを後悔した。
さっきまでの気持ちも忘れ、地主の娘であるあの子がかわいそうとすら思った。
こんなものがもしも自分の庭に落ちていたら、たまらないどころじゃない。家にいたくないと思うだろう。
目を反らしたいのに、それがどうしてもできなかった。目線はその手首に釘付けになって、見たくないものまで細かく見てしまう。
爪の中は打ち身のように青黒くなり、骨は不自然なほど浮き出て、切断面は
その右手が誰のもので、事件性を含めたうえで一体何故そこにあったのか。
一切を私は知らない。
というのも、その話は私の記憶の中に留まったまま、現実のものとして存在した出来事だったということを確認していないからである。
おそらくあれは夢だったのではないか。子供の頃に見たリアルな夢が、現実のリアルとして誤認し、実際体験と勘違いをしたまま大人になっているという可能性も十分にありうる。
そして、あそこまでわかりやすくスキャンダル性の高い大事件が現実に起こっていたとしたら、少なからず警察ないしマスコミは動き、その喧騒は地域を巡る。いわばそんな派手なことをすっかり忘れるなんてことが、いくら小学生だったからといって、あるだろうか?あるわけがない。
あれは私が造り上げたリアルな夢で、リアルな想像で、リアルな体験だった。
目を覚ました瞬間にすべて消えてなくなったものだったのだ。
数年前、地元へ戻ったときのことだ。
当時学校に通っていた頃からの幼なじみと、あのゆるい下り坂を歩いていた。
私がここを離れて東京に転校してからも、彼女はずっとこの地元で育った。今回の帰郷で久々に再会できることに喜び、彼女の家に泊まらせてもらうことになっていた。
花火を買って家の前でやろう、ということで、暗くなってからコンビニへ行って買い出しをし、その帰り道だった。住宅街は静まり返り、街灯は頼りなげに地面に橙色の光を落としている。
友人はふざけ半分で「なんか雰囲気あるね。恐い話しようか」と切り出した。
私も乗り気で、怪談話を思い付くままに言っては怖がって、「眠れなくなるよ」と笑い合っていた。
坂を下りきり、雑木林が見えてきたあたりでふと私は思い出して彼女に訊いた。
「ねえ。そういえばさ、この先の雑木林の倉庫でさ…」
切断された手首が発見されたって事件、なかったよね?
あれは私の夢だった。
あれは私が造り上げたリアルな夢で、リアルな想像で、リアルな体験だった。
そんな現実味のある作り話を持ち出して、恐いこと言うのはやめてよね、と。そういう類での切り出しだった。
それなのに?
一体なんなんだろう?
その言葉を聞いたときの、彼女の顔を見たのは一瞬だった。だが私は今でもあの顔を忘れることはできない。
白目が見えないくらいに瞳孔をいっぱいに見開き、対照的に口は堅く堅く閉ざしている。顔に開けたふたつの穴のような両目は私から逸らすことはなかった。
彼女の手にぶら下がっている花火とアイスクリームが入ったコンビニのビニール袋が、強風にあおられたように音を立ててやまなかった。
次の瞬間にはもう彼女の顔はさっきまでの顔に戻っていた。
友人はなにも答えなかった。
それはまるで私の質問など最初から存在していなかったかのような、あまりにも完璧すぎる無視だった。
開いてはいけないドアがある。
風もないのに揺れたビニール袋。あれは彼女の両手が震えていたからだったということに気付いたのは、それからまた暫く経ってからだった。
私が小学生になって間もない頃だったと思う。
手首から先、切断されたかのような右手はまるで軍手のように無造作に落ちていた。
すべての血が抜かれたようにそれは青白く、肌がビニールのように透き通っていてところどころ血管が浮き出ている。
その手首は近所の雑木林の隅っこにある用具倉庫の脇で発見された。
最初はそれが本物なのか作り物なのか誰の判断もつかなかったために、漠然とした事実だけが矢羽根となって近所じゅうを駆け巡った。
「男の人の手首が落ちている」
そんな気味の悪い噂を聞きつけて、まさにこわいもの見たさで私は見に行ったのだった。
友達や兄弟、家族なんかに、噂になってる手首を実際に見たよ、と、自慢したかった気持ちもある。
更にもうひとつ理由があった。
雑木林の所有者であるお金持ちの家には、私の学校のクラスメートの女の子がいた。つまりは地主の娘だ。
私はその子が大きい家に住んで、広い庭と雑木林を所有して、一帯を占めているという事実がなんとなく悔しかった。
だから見に行った。きもちわるいものが発見されたのが、あのおじょうさまのおうちの庭だなんて。いいきみ。と、あるいはそう思ったのかもしれない。
どれをとっても、幼い子供の考えそうな単純なことである。
ゆるい坂を降りて倉庫に着くと、そこはすでに大人たちの人だかりができていた。
問題の手首があるところを中心にとり囲んでいるために、子供の目線にはなにも見えない。
私はこちらに背を向けて突っ立ってる大人たちの足をくぐって、一番前の列から顔を出した。
手首は落ちていた。
青白い、大きな右手の手首だった。
本物の切断された手首を見たことがなくても、実際に目の当たりにするとそれは作り物のようにはとても見えなかった。
細い細い紫色の血管が、親指と人さし指の間の水かきからひとすじ、手の甲に向けて稲光りのように枝分かれしながら走っていた。
当然ながら、私は見たことを後悔した。
さっきまでの気持ちも忘れ、地主の娘であるあの子がかわいそうとすら思った。
こんなものがもしも自分の庭に落ちていたら、たまらないどころじゃない。家にいたくないと思うだろう。
目を反らしたいのに、それがどうしてもできなかった。目線はその手首に釘付けになって、見たくないものまで細かく見てしまう。
爪の中は打ち身のように青黒くなり、骨は不自然なほど浮き出て、切断面は
その右手が誰のもので、事件性を含めたうえで一体何故そこにあったのか。
一切を私は知らない。
というのも、その話は私の記憶の中に留まったまま、現実のものとして存在した出来事だったということを確認していないからである。
おそらくあれは夢だったのではないか。子供の頃に見たリアルな夢が、現実のリアルとして誤認し、実際体験と勘違いをしたまま大人になっているという可能性も十分にありうる。
そして、あそこまでわかりやすくスキャンダル性の高い大事件が現実に起こっていたとしたら、少なからず警察ないしマスコミは動き、その喧騒は地域を巡る。いわばそんな派手なことをすっかり忘れるなんてことが、いくら小学生だったからといって、あるだろうか?あるわけがない。
あれは私が造り上げたリアルな夢で、リアルな想像で、リアルな体験だった。
目を覚ました瞬間にすべて消えてなくなったものだったのだ。
数年前、地元へ戻ったときのことだ。
当時学校に通っていた頃からの幼なじみと、あのゆるい下り坂を歩いていた。
私がここを離れて東京に転校してからも、彼女はずっとこの地元で育った。今回の帰郷で久々に再会できることに喜び、彼女の家に泊まらせてもらうことになっていた。
花火を買って家の前でやろう、ということで、暗くなってからコンビニへ行って買い出しをし、その帰り道だった。住宅街は静まり返り、街灯は頼りなげに地面に橙色の光を落としている。
友人はふざけ半分で「なんか雰囲気あるね。恐い話しようか」と切り出した。
私も乗り気で、怪談話を思い付くままに言っては怖がって、「眠れなくなるよ」と笑い合っていた。
坂を下りきり、雑木林が見えてきたあたりでふと私は思い出して彼女に訊いた。
「ねえ。そういえばさ、この先の雑木林の倉庫でさ…」
切断された手首が発見されたって事件、なかったよね?
あれは私の夢だった。
あれは私が造り上げたリアルな夢で、リアルな想像で、リアルな体験だった。
そんな現実味のある作り話を持ち出して、恐いこと言うのはやめてよね、と。そういう類での切り出しだった。
それなのに?
一体なんなんだろう?
その言葉を聞いたときの、彼女の顔を見たのは一瞬だった。だが私は今でもあの顔を忘れることはできない。
白目が見えないくらいに瞳孔をいっぱいに見開き、対照的に口は堅く堅く閉ざしている。顔に開けたふたつの穴のような両目は私から逸らすことはなかった。
彼女の手にぶら下がっている花火とアイスクリームが入ったコンビニのビニール袋が、強風にあおられたように音を立ててやまなかった。
次の瞬間にはもう彼女の顔はさっきまでの顔に戻っていた。
友人はなにも答えなかった。
それはまるで私の質問など最初から存在していなかったかのような、あまりにも完璧すぎる無視だった。
開いてはいけないドアがある。
風もないのに揺れたビニール袋。あれは彼女の両手が震えていたからだったということに気付いたのは、それからまた暫く経ってからだった。
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